Column ~昭和の山田 懐かしい風景~
今は令和の世になり、昭和はもう30年以上も前のことになります。この間に山田も随分と変わってきました。このページではそんな昔を思い出させてくれる、古い写真を集めました。
あおばな摘み 昭和45年頃
あおばなの天日乾燥
山田だいこん
写真はあおばなの花びらの摘み取作業と、その花びらの絞り液を塗った紙を天日乾燥しています。昭和45年頃。
山田だいこんは「たくあん」にするだいこんで、現在はほとんど栽培されていません。
水車
牛による代掻き
田植え
田植え
脱穀機
脱穀作業
籾の天日乾燥の状況
水車に乗って田んぼに水をはって、牛を使って代掻きをします。当時の農家は皆牛を飼っていました。牛は農作業における重要な動力源です。
田植えは写真のように、1株ずつ、手で植えていきます。 脱穀機による脱穀作業もよく見かけたものです。脱穀した籾は、むしろに広げて、天日で乾燥しています。
昭和30年代後半になりますと、耕運機が普及し、牛による作業は急激に機械にとって代わります。そして、稲の刈り取りと脱穀はコンバインに、灯油バーナーや練炭を熱源とする籾の乾燥機が普及し、 急速に農業の機械化が進みました。田植えも、田植え機が出てきました。
山田港 昭和16年頃
山田港 昭和30年頃
(穴村の港)
昭和16年頃の山田港の現状
昭和の時代の前半頃までは、山田港から大津市の浜大津までの定期船は、交通機関として大変重要な役割を果たしてきました。
上列左は昭和16年頃、中央は昭和30年頃の山田港です。右のカラー写真は現在の山寺川でS16頃の港の位置と同じです。
昭和29年 草津市制直後の市中心部
昭和30年頃の草津駅
草津駅を出発する蒸気機関車
国道1号草津川トンネル 昭和34年
また右は昭和34年の国道1号の草津川トンネルです。
漁港(北山田?)
祭り
昭和40年頃の茅葺き民家
昭和40年頃の茅葺き民家
昭和45年 山田小学校
山田小学校の校舎(当時はすべて平屋建て)
昭和9年室戸台風で倒壊した山田小学校
昭和29年 松原中学校