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山田学区の文化財
山田学区の文化財
山田学区に存する文化財は国の重要文化財と、市指定の文化財とを合わせて6件あります。
薬師如来坐像(重要文化財)
薬師如来坐像(重要文化財)も木川町薬師堂に安置せられる。前後二材剥ぎで、表面は漆箔仕上げとなっています。薬壺は左手先と共木で造り出し、両手先とも当初のものを完存しています。平安時代の作。
石造薬師如来坐像(草津市指定文化財)
北山田町薬師院に祀られています。総高92.5cmの花崗岩の中央に座高65cmの薬師如来が蓮華上に結跏趺坐(けっかふぎ)する薬師を半肉彫りにしています。 胸前は扁平で在地石工の作になるものでしょう。市内に数少ない石仏です。
絹本著色仏涅槃図(草津市指定文化財)
岳陽筆 絹本著色仏涅槃図(けんぽんちゃくしょくぶつねはんず)
岳陽(1739~1822)は不動浜に生まれた浄土宗の僧で、名は澹空(たんくう)、字は旭応(きょくおう)、岳陽などと号しました。 不動浜の西光寺の住職になりますが、碩学のため、1810年には浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺(永観堂)の住職に迎えられた高僧です。
涅槃図は釈迦が入滅した時の様子を絵画化したものです。当図は款記から1772年に描かれた涅槃図で、画面中央には沙羅双樹(さらそうじゅ)のもと宝台(ほうだい)に右手を手枕に横臥する釈迦を囲んで、 多くの仏弟子・菩薩・天部・鳥獣などが嘆き悲しんでいる様子が描かれています。1772年の年紀があり岳陽34歳の大作です。
絹本著色当麻曼荼羅図(草津市指定文化財)
岳陽筆 絹本著色当麻曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくたいままんだら):当図は西光寺に所蔵する縦237cmを超える大幅で、描表装風に牡丹唐草文様で画面を囲み、 画面の中央には阿弥陀三尊がいる三十七尊段を中心に、極楽浄土の様々の場面が、金泥を多用して壮麗に描かれています。款記から文化5年(1808)、 岳陽70歳の折りに写して賛を加えたことがわかります。飛天、楽人、如来、菩薩をはじめ楼閣にいたるまで細密で、気力の充実した作品。岳陽が描いた仏画を代表する大作として貴重です。
毘沙門天立像(重要文化財)
毘沙門天立像(重要文化財)は木川町薬師堂に祀られていましたが、現在は保存管理を栗東歴史民俗博物館(栗東市)に寄託されています。 宝髻(ほうけい)を結い、甲冑を着けて、左手で宝塔(ほうとう)を捧げ、邪鬼を踏まえる通常の毘沙門天像です。頭体幹部をヒノキの一材から彫だし、 像高102.8cmです。平安時代12世紀の作と考えられています。薬師堂の位置する場所は栗東市の古刹金勝寺の別院・金峰山寺(きんぷうせんじ)の旧跡と伝わります。
西光寺の不動明王立像と毘沙門天立像(草津市指定文化財)
不動明王立像と毘沙門天立像は、不動浜西光寺に祀られている像で、不動明王の像高は64.0cm、毘沙門天の像高は66.5cmで、不動明王・毘沙門天はともに 寄木内刳(うちぐ)り・玉眼・彩色像で、頭部は顔面と頭部二材、都合三材を縦に矧(は)ぎ、首は差し首で、体幹部は縦に前後二材を矧いで両手ともそれぞれ肩で矧いでいる。小像ながら均衡がとれ、 工芸的色彩が強い。
不動明王は雄渾な表情に塊量性をもたせ、毘沙門天の少し腰を右に振る姿は像の統制を乱さず、袖先のなびきも裳裾のひるがえりに対し即応している。しかし、両像ともに工芸的色彩が強く、 14世紀前半の特性をよく示すものである。同時同一仏師の作。鎌倉時代。
西明寺の五重層塔(木川町)
最明寺は執権、北条時頼ゆかりのお寺と伝えられています。
「北条時頼が諸国行脚の折り、山田の里に来りて木村重国宅に投宿し、その恩を謝し山田の里に領地を賜う。 木村重国は、天台山に入り僧となり、文永3年(1266)に山田木川の里に一宇を建て最明寺と号す。」と沿革史に伝えられています。
東向きの山門をくぐると、すぐ目前に本堂があります。石畳の参道を進んだ左手に、五重層塔があります。花崗岩製で、総高282cmの大塔であり、草津では唯一の完全層塔で、鎌倉時代の建立であると考えられています。
基礎は、近江特有の三茎蓮を刻出し、塔身は蓮座の上に像高25cmの四方仏を浮彫りにしています。
屋根は五重で軒は厚く、両端にいくにしたがって力強くそり上がり、笠の下り様は、そり屋根となっています。 相輪も完全に残っています。
文永元年(1264)北条時頼の墓所として、この供養塔が建立されたものと思われます。
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